- 1893年生まれ
- バルセロナ出身
- 「画家」という肩書きにこだわって狭い世界に閉じこもることを嫌い、
パリでは作家のヘミングウェイやヘンリー・ミラーなどとも交流があった。
晩年にはコンクリート製の大型彫刻や壁画などのパブリック・アートの大作を数多く残している。
二度の来日の間に瀧口修造と詩画集を合作している。
| 1912 | フラシスコ・ガリ美術学校(バルセロナ)に入学 |
|---|---|
| 1919 | モンロッチとパリを往復しつつ制作するようになる |
| 1937 | パリ万国博覧会のスペイン館のために壁画を制作 |
| 1941 | ニューヨーク近代美術館にて回顧展を開催 |
| 1944 | 陶器や彫刻の制作を始め、作品の幅を広げていく |
| 1956 | パルマに大規模なアトリエを造り、作品の規模も大きくなっていく |
| 1959 | ニューヨーク近代美術館、ロサンゼルス美術館にて回顧展を開催 ユネスコ本部の壁画に対し、グッケンハイム財団国際大賞を受賞 |
| 1962 | パリ市美術館にて回顧展を開催 |
| 1966 | 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館にて回顧展を開催 |
| 1970 | 大阪万国博覧会のガス館に陶板壁画『無垢の笑い』を制作するため来日 |
| 1976 | バルセロナに「ジョアン・ミロ財団現代美術館研究所」を開設 |
| 1983 | マリヨルカ島にて没 90歳 |
代表作 『絵画(愛知県美術館、1925)』 |
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- 1887年生まれ
- ヴィテブスク(ロシア・ベラルーシ)出身
- 帝政ロシア領ヴィテブスク(現ベラルーシ・ヴィツェプスク)に
モイシェ・セガルとして生れた。
ロシア名マルク・ザハロヴィチ・シャガル、
ベラルーシ名モイシャ・ザハラヴィチ・シャガラウ。
故郷ヴィテブスクは人口の大部分をユダヤ人が占めているシュテットルで、
シャガール自身もユダヤ人である。
| 1907 | ペテルブルグの美術学校に入学 |
|---|---|
| 1910 | パリに赴き、五年間の滞在の後、故郷へ戻る |
| 1915 | 結婚 |
| 1923 | ふたたびパリへ戻る |
| 1941 | 第二次大戦の勃発を受け、ナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命 |
| 1947 | パリへ戻る |
| 1950 | 南仏に永住することを決意し、フランス国籍を取得 |
| 1960 | エラスムス賞受賞 当時のフランス共和国文科大臣でシャガールとも親交のあった アンドレ・マルローがパリ、オペラ座の天井画をシャガールに依頼 |
| 1964 | パリ・オペラ座の天井画完成 |
| 1966 | 17点から連作『聖書のメッセージ』をフランス国家に寄贈 |
| 1973 | ニース市にシャガール美術館が開館 |
| 1985 | サン・ポール・ド・ヴァンス(フランス)にて没 98歳 |
代表作 『I and the Village』 ニューヨーク近代美術館 『青いサーカス』 ポンピドゥー・センター 『バレエ「アレコ」舞台背景画』 第1、2、4幕・青森県立美術館/第3幕・フィラデルフィア美術館 など |
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- 1881年生まれ
- マラガ(スペイン)出身
- キュビスムの創始者。
生涯におよそ13,500点の油絵と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、
300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な画家であるとギネスブックに記されている。
| 1892 | ラ・コルーニャの美術学校に入学 |
|---|---|
| 1895 | バルセロナに移住・美術学校に入学 |
| 1897 | マドリードで開催された国展にて「科学と慈愛」が佳作を受賞 マラガの地方展で金賞を受賞 マドリードのサン・フェルナンド王立アカデミーに入学 (宮廷画家を目指すことの無意味さを悟り中退) |
| 1900 | カサヘマス、パリャーレスと共に初めてパリを訪れ、バルセロナとパリを数度行き来する |
| 1901 | パリで初の個展を開催、青の時代を開始 |
| 1902 | パリで生活を始める |
| 1903 | バルセロナへ帰郷 |
| 1904 | 再びパリに拠点を移す。バラ色の時代開始 |
| 1928 | 彫刻に専心し始める |
| 1930 | 『ピカソ夫人像』でカーネギー賞を受賞 |
| 1936 | プラド美術館長就任 |
| 1937 | 『ゲルニカ(マドリード・ソフィア王妃芸術センター)』製作 |
| 1958 | 『イカルスの墜落(パリ・ユネスコ本部)』製作 |
| 1973 | ムージャン(フランス)にて没 91歳 |
- 1928年生まれ
- パリ出身
| 1944 | パリ国立美術学校に入学、ナルボンヌに師事 |
|---|---|
| 1946 | サロン・ド・モワン・ド・トランタンに初めて『自画像』を出品 |
| 1947 | アンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出品 |
| 1948 | ジュンヌ・パンチュール賞、第一回クリチック賞を受賞 |
| 1951 | 『キリストの受難』を制作 |
| 1953 | 日本国際美術展に出品 |
| 1963 | 東京国立近代美術館にて回顧展を開催 |
| 1971 | 仏政府よりレジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエの称号を受ける |
| 1973 | 静岡県長泉町駿河平に世界で始めてのベルナール・ビュッフェ美術館が開館 |
| 1987 | 愛知県美術館にて代表作80点を集めた展覧会を開催 |
| 1991 | 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館にて回顧展を開催 |
| 1999 | ボーム(南フランス)にて没 71歳 |
代表作 『青い闘牛士』 ベルナール・ビュフェ美術館 『カルメン』 ベルナール・ビュフェ美術館 『アナベル夫人像』 ブリヂストン美術館 など |
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- 1860年生まれ
- シャンパーニュ地方マルヌ県アイ村(フランス)出身
- 日本との関係では、1932年に旧皇族朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)のガラスの扉やシャンデリアなどの製作を受注している。
| 1876 | パリの装飾美術学校に入学 宝飾工芸家で金属細工師のルイ・オーコックに師事し装飾の技術を習い、夜はパリの装飾美術学校で学ぶ |
|---|---|
| 1878 1880 |
イギリスに滞在 サイデナム・カレッジで学ぶ |
| 1885 | パリのヴァンドーム広場にアトリエを構える |
| 1897 | レジオン・ド=ヌール勲章を受章 |
| 1900 | パリ万国博覧会に出品。宝飾作品が大きな注目を集める |
| 1907 | 香水商のフランソワ・コティと出会う |
| 1908 | コティの注文により、香水瓶とラベルをデザイン パリ東方のコム=ラ=ヴィルにあったガラス工場を借り(のちに購入)、 本格的にガラス工芸品の生産を始める |
| 1912 | 宝飾品の展示会を開いた後、ガラス工芸品の製造に専念 |
| 1918 | アルザス地方のヴァンジャン=シュル=モデールに新たな工場の建設を始める |
| 1922 | 工場完成 |
| 1925 | パリにおける現代装飾美術・産業美術展でラリックのために1つのパビリオンが与えられる |
| 1945 | 没 85歳 |






